JUGEMテーマ:生き物
たぶんみんなが知ってる「池の水ぜんぶ抜く大作戦」という番組
私も、以前は見てたこともある、が、見ていてなんか痛々しい
気持ちがモヤモヤ〜とする違和感、ゆえにこの番組は私のリストから外れた
外来種だからって、その命、粗末に扱っていいのか?
小さな子魚や卵は、あの泥の中で、めちゃくちゃだな?
その番組を例として
「外来種バッシング」についての記事
行き過ぎ「外来種バッシング」 コスモスやイネは?生物学者の提言
7/11(土) 6:04配信
『「人権」と並び、声の大きい人々の“参入分野”となって久しいのが、「環境」である。中でもホットなのは、「外来種」バッシング。固有の生態系を崩す。だから駆除せよ、と叫ぶが、生態系(エコシステム)ってそんなに単純なものなのか。』
『分別のない子どもに『外来種=悪』みたいな単純な思想を植え付けていいのか。』
『「各々の生態系における、個別で複雑な事情について知らずに、大人が『外来種=悪』と決めつける姿勢を見せれば、子どもは“特定外来種ならば殺してもいい”と誤解するでしょう。これはもう、命の選別ですよ。何であれ、生物の命は同じように大切。とりわけ子どもに、“殺していい生物とダメな生物がいる”という論理を教えるのは問題です」』
『 そもそも、池の水を抜くくらいで、生態系がコントロールできると考えること自体が、人間の思い上がりではないのか。 「特に哺乳類と違い、非常に多くの卵を産む魚や虫は、少し獲ったからといって、簡単に減るものではありません。池の水を全部抜いても、少しでも残っていれば、2〜3年も経てば元の木阿弥。動植物はモノではないので、ひとつ獲ればひとつ減る、というような単純なものではないのです」 』
『「原理主義者は、在来で固有の生態系というものがあり、それが続くことが理想だと思いがちですが、そんなことはありえません。そもそもイネだって、2500年前に来た外来種ですから。生態系はどんどん変わっていくもの。それを理解し、自然に敬意を持った上で、あまりに害が甚大なものについては、ほどほどに対策する、と言うしかない」』
「外来生物」は本当に「悪者」なのか 実はイネもレタスもキャベツも外来種!?
2018年8月16日掲載
『「入ってきた当時は、日本の自然にそぐわないとして嫌われる外来種も、侵入して長い年月がたてばわれわれの生活になじんできて、違和感がなくなってくる。アメリカザリガニは侵入してきてまだ90年弱しかたっていないが、子どもの頃ザリガニ捕りをした人たちにとっては、なつかしい日本の風物詩であろう。コスモスも明治時代に導入された比較的新しい外来種だが、秋の田園を彩(いろど)る花として多くの人に親しまれている。外来種だと思っていない人もいるに違いない」』
『 秋の季語にもなっているコスモスも外来種だったとは……。こうなってくると、外来種・在来種という呼び方すらも、なんだか意味をなさないような気さえしてくる。前掲書で池田氏も述べているが、ブラックバスもあと100年もすれば日本の自然に馴染んでしまい、排斥の声なども潰え、各々の生命の自由を謳歌しているのかもしれない。生命の深慮の前には人の浅知恵にどれほど意味があるのか、考えさせられる。』
(上記記事、全文はリンク先で)
駆除(?)が必要なこともある、けど
外来種だからって、命が軽いわけじゃない
外来種だからって、苦しませても良いわけない
そもそも、人も自然界の一員
人が持ち込んだりして広がった外来種も
大きな地球の歴史からみれば
自然の営みの一部分なのかも知れない、と思う
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